命を食べる~中国新聞『あこがれ山暮らし』~

子供のころ、母の運転する車の前を何頭かの牛を乗せたトラックが走っていました。
牛は後方、つまり私たちの乗っている車の方に顔を向けていました。
つぶらな大きな瞳を向けていました。

「牛さん、どこ行くん?」
母は食肉の牛であることを言い、私と兄はワンワンと泣いたものです。

でも・・・その後もお肉を食べている・・・人間とはこういうものです。

中国新聞で日曜日に掲載される「あこがれ山暮らし・北広島から」では2週にわたり、イノシシの「ココ」と「コテツ」について書かれていました。
はぐれた小さなイノシシを捕獲し、半年間育てた後食べる・・・淡々と描かれた文でしたが、胸に来るものがありました。

名前をつけ、大切に育て、世話をし、そしてその時を迎えた筆者は、涙を流しながらその毛皮を手に取り、焼かれた肉を「おいしい」と食べます。
小難しい哲学的な言葉も、宗教感も、美辞麗句もなく、ただ淡々と、育てたイノシシを食べたことが書かれてありました。

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他の命を食べ、自身の命を長らえる・・・自然界の法則ですが、街に住んでいるとその命への畏敬が薄らぎます。
パックに入った肉に切り身の魚、土の匂いのしない野菜・・・。
しかし何も考えず、ただ飽食に甘んじるだけでは、まるで肉食恐竜です。
ティラノザウルスと同じく、絶滅の運命にあるのでしょうか?

本来ならタイトルを「命を食べる」ではなく「命をいただく」とするべきでしょうが、僧侶のように食べる前に感謝の経を唱えたり我が身の業を憂えたりして、畏敬をもって食べているわけでもない私ですから、自己の野蛮さの悔恨も込めて「食べる」としました。

いただきます、ごめんね、ありがとね。
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