ある場所に車を駐車した時、あの頃が蘇ってきました。
「ジローを通院させるために、ここに駐車してた」
1年前のことですが、車内でのジローの息遣いをはっきり思い出しました。
痛かったね、苦しかったね。
もっと早くわかってあげられたら、今も元気だったかな?
そうか、明日はジローの誕生日・・・保護されて我が家に来た日だったね。
17歳のおじいちゃんだけど、きっと大きな赤ちゃんのままだったと思うよ。
我が家ではまだまだ元気な猫たちが居ますが、それでも犬たちの居ない冷たい静けさに、時折押しつぶされそうになります。
テレビやパソコン画面にあの子たちに似た子が映ると、じっと見つめてしまいます。
亡くなった直後の痛みのような悲しさは、薄紙が剝がれるように少しづつ癒えていきましたが、寂しさはまだまだ心の芯にあり、穴が開いたままのよう。
でも幸せの記憶はその何百倍もあり、ふと思う出しては笑顔にしてくれます。
その光景は特別な日ではなく、ありふれた日常のもの。
散歩途中で見上げた木々だったり、新鮮な朝の空気だったり、家でのドタバタだったり・・・。
日常こそがキラキラした宝物だった・・・。
あの子たちの思い出は、私のエネルギーです。
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