宣告の時

お腹が張ってきても「便秘?」と軽く考えており、しばらくそのまま放置していました。
さすがにおかしい、お腹が張るっていうか膨らんでる・・・息をするのも苦しい・・・。

そんな状態で行った病院でのエコー検査では、肝臓・腎臓など異常が無く、ただ腸の動きが悪く「腸閉塞になっては大変」と下剤を服用しておりました。
卵巣は骨盤の奥にあり、エコーでは見えにくく、検査はやはり婦人科に行かなければいけなかったのです。

歩くのもしんどくなり、息苦しい状態で「ただ事ではない」と撮ったレントゲンには左肺を半分ほど覆った水。
その場で「すぐ行きなさい!」と紹介してもらい、大きな病院に駆け込みました。
CTスキャンを受け、画像診断を待つ間も「癌」の文字は頭にありませんでした。

診察室に呼ばれ、入ってきた医師の様子を見て「あ、悪い病気だ」と思いました。
医師から一人で来ているのかと問われ、そうですと答えると、看護婦さんを呼びました。
深刻な病状説明をする場合、必ず付き添っていなければいけないとか・・・そのことを聞いた時、血が逆流するような感覚になりました。

「おそらく卵巣癌。お腹全体に散らばっており、軽い状態ではない。腹水はそのせい。肺にも水がある」

夫が亡くなった時、足の力が無くなり、その場でへたり込んでしまったのですが、この時もそんな感じ。
椅子に座ってなかったら、足元から崩れ落ちたかもしれません。
表向きは気丈に振る舞っていましたが、頭の中では「子どもになんて言おう」と自問自答していました。
息子は大丈夫だろうか?娘は泣いてしまうだろう・・・ごめんね、ごめんね・・・。

支えてくださる看護婦さんの温かい手。
でもこの温かさは、死に近い病気になった者への憐みの情なのだろうか?
「大丈夫」というエールならいいな・・・でも違うのだろう・・・そんなことを考えていました。

婦人外科のある総合病院に行くべく3つの病院を提示されたうち、一番近くにあり、また20年ほど前に子宮筋腫の手術をした市民病院をお願いいたしました。
その日三つ目の病院へ向かうタクシーの中、取り留めなく明るい話題を振りまく運転手さん。
心ここにあらずなのに、普通を装い答える私。
でも心の中は「癌だった、癌だった・・・」と繰り返していました。

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5月2日、記念日でもないのに手帳に記される「宣告の日」です。




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