考えてみれば癌の宣告を受けた時もその後も、一度も涙が出ませんでした。
代わりにオンオンと泣いたのは娘。
怒涛の一日を終え、家に帰り、娘と並んでソファに座り、卵巣癌であったことを報告しました。
ボタボタと涙を流し、声を震わせながら泣く娘の、その肩を抱きしめて「ごめんね」を繰り返すばかりの私でした。
その後息子に電話をし、事の次第を伝えました。
大阪から2カ月後に広島に帰り、一緒に仕事をする予定にしていましたが、歯車が狂ってしまいました。
息子の人生まで巻き添えにするわけにはいかない、何とかしなければ。
不思議なもので、自分の命が危機にさらされていても、母親の立場が勝ってしまうようです。
変な表現ですが、子どもと別れる辛さの方が勝り、死の恐怖が薄らいだように思えました。
一晩中ネット検索で調べはしても、気持ちを落ち着けるような情報ばかりではありません。
眠れぬ朝を迎え娘と顔を合すと、腫れぼったい目をしていました。
娘もまた、一晩中検索していたようです。
ネットは便利なものですが、もう検索で時間を費やすことはやめました。
情報も重要ですがほどほどにし、良いことが書いてあることを読むようにしています。
重い気分になる方が体に良くないですから。
MRIとCTの検査をし、その画像を見ながらの説明を受け、その真っ黒な私の患部を見ながら涙を流す娘。
看護婦さんに慰められる娘の横で、「患者は私なんですけどぉ~」と思うと、不思議と心が軽くなりました。
私の代わりに泣いてくれてるんだ・・・。
卵巣から胃の大網を中心に播種が広がり、肺にも転移していた私はステージ4B期との診断を受けました。
しかし主治医は淡々と今後の治療方針を述べ、「頑張りましょう」と言ってくれます。
そうか、頑張れば生きられるのか。
では、頑張ろう。
ホリーのお母さんぶりが懐かしい。
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